アクション好きが観てきた映画感想!!(あくまでも個人的な感想です)

映画の感想をブログでやってみます。なにぶん素人ですのでどうか暖かい目で見てほしいです(不快になられても責任とれませんので悪しからず)

テリー・ギリアムのドンキホーテ

テリー・ギリアムドンキホーテ

監督・脚本 テリー・ギリアム

脚本 トニー・グリソーニ

主演 アダム・ドライバー
ジョナサン・プライス


短文感想
映画史上最も呪われた企画に挑み続けた映画史上最も映画の神から愛されなかった監督が描いた狂気と驚愕の夢物語
個人的%率
80%
















ネタバレ感想
テリー・ギリアムドンキホーテを語る前にテリー・ギリアム自身について少し話さないといけない。
彼は恐らく処か確実に映画の神から最も愛されなかった監督だ。
今まで描いてきた映画でトラブルとは切っても切れないほど腐れ縁が強かった。
未来世紀ブラジル』ではアメリカ公開は自分の意図していなかった状態で上映されて『バロン』ではプロデューサーの予算の管理ミスで予算が膨れ上がり、スタジオと争い、結果的に思い描いていたビジョンを描けず仕舞い。
それ以降はトラブルらしいトラブルは目立たなかったが、キャスティングが上手くいかないなど度々あった。
『Drパンナサスの鏡』ではまさかの主演俳優ヒース・レジャーの死亡。
と常に映画の神がまるで断罪をするかのようにトラブルを与え続けてきた。
この『ドンキホーテ』もその1つである。
度重なる撮影延期と俳優の降板。
映画史上最も呪われた企画と言われ続けてきた。
構想30年 9回の延期。
正直、ここまで呪われていると企画すら消えそうなのをテリー・ギリアムとスタッフは気合いと根性で完成させた。
その話は実にテリー・ギリアムらしい話だが、テリー・ギリアムらしくない物語だった。

自分をドンキホーテだと信じる老人と一緒に旅をするはめになったCM監督の滑稽な騒動を描いた作品だが、テリー・ギリアムらしくないのは結末だ。
テリー・ギリアムはどちらかと言えば、幻想的な物語の上に救いのない物語を持ってくる露悪的な作風の監督だが、今作の結末は夢は引き継がれていき、永遠となるという今までとはほぼ真逆な結末だったのだ。
『バロン』では確かにハッピーエンドで締め括られているが違うところがある。
それはバロンはかつての仲間と今の仲間の両方がいてこそのハッピーエンドで一人ぼっちの人間にはドSとしか言いようがないほど絶望を与えてきたのだ。
そうテリー・ギリアムはぼっちとかオタクに対して今まで鞭を打ち続けてきた監督だ。
その凶悪さには映画を実際に観ないとわからないが、今作にそんな感じはない。
むしろ明らかに今までとは目線が違いすぎる。
一人で頑固で自己中な人間に対して厳しく説教してきた監督が「自身をドンキホーテと思ってる老人」には驚くほど優しかった。
恐らく、歳を重ねてドンキホーテをやったのがかつて共にブラジルを作ったジョナサン・プライスだからだろう。
テリー・ギリアム程の人間がそうそう変わるとは思えない。何故ならこの監督の呪われっぷりは世界一だがタフさも世界一で年々心臓に毛が這えてるのか?と思わんばかりにタフになっていた。
今さらそう簡単に変わるとは思えない。
しかし、それでも変わったとなれば構想30年頓挫9回の過酷さは想像を絶する物と言う証明である。
別に映画を描く腕が落ちたとかダメな映画だとかの次元で言ってるのではない。
映画を通してテリー・ギリアムの変化が観られたのだ。こんな美味しい事はない。
それは映画をただ観るとは違った楽しみかたで凄く楽しかった。
テリー・ギリアムは今作で夢の引き継がれていくのをやった。
それは一体誰に当てたのだろう?
次世代か?
それとも友人か?
今作のスタッフ達か?
それはテリー・ギリアム本人にしかわからないだろう。
絶賛しているが、個人的に100%ではないのはテリー・ギリアムのブラジルよりも衝撃が弱いと思ったからだ。
いや、ここまで来ると自分の個人的な好き嫌いだ。
もしも自分が評論家と言う仕事だったら、この映画には100%同調するしかない。
あくまでも一人の映画好きだからこそ、これになるのだ。
文字通りの幻想を楽しめて満足だ。

リチャード・ジュエル

監督 クリントイーストウッド

出演 ポール・ウォルター・ハウザー
サム・ロックウェル
キャシー・ベイツ







短文感想
自らを権力者と認知しなくなったメディアの恐ろしさを描く問題作。
個人的%率
90%









ネタバレ感想
僕自身、この映画は非常に楽しみにしてた映画です。
昨今は様々な媒体で情報が溢れかえってるようになりましたから、このメディアもFBIも権力であるとある種の告発する映画は本当に楽しみでしたし、実際に非常にためになりました。

FBIの人権を無視したやり方、地元メディアの裏付けされてない報道によって人生が狂わされていくのは決して海の向こうの話ではないと思います。

一体いつどこで罪人として人に認知されるかわからない恐怖は本当に怖かったし、観てて辛かったです。

日本でも恐らく認知されてないだけでメディアリンチも捏造もあると思います。
思うと言うのは確証が無いからですが、絶対にないと言う確証もないので思うと言わせて貰います。

その時に民衆はどうするべきなのかを考えるには持ってこいの映画でした。

ワンス・アポンア・タイム・イン.......ハリウッド エクステンデットver

ワンス・アポンア・タイム・イン.......ハリウッド エクステンデットver

監督・脚本 クエンティンタランティーノ

出演 レオナルドディカプリオ ブラットピット
マーゴットロビー






短文感想
ハリウッド一の映画オタクが描く『アメリカの夜』より俗悪的で『ヒューゴの不思議な発明』より暴力的で『アーティスト』より美しい偏執的映画愛が炸裂した西部劇

個人的リンク率 120%

















【ネタバレ感想】
ワンスアポンアタイムインハリウッド(ワンハリ)の特別版を観てきました!!
特別版と通常版の違いは後で書きますので、先に映画その物の感想を書きます。

大変、面白かったです。
ディカプリオとブラピのブロマンスとハリウッドの闇とも言うべき惨殺事件、これらを組み合わせるこんな展開は本当に予想が出来ませんね。

個人的に好きなのが、ディカプリオ演じるシャロンテートの隣の家に済む俳優リックの撮影現場のシーンですね。落ちぶれたTV西部劇のスターが自身のキャリアの終わりに直面してボロボロの状態に加えて、折角出演できて何とか食い扶持を繋いでる現場では大嫌いなヒッピーをイメージした衣装を着ることになり、メイクも強烈になって自分が誰かわからなくなる状態になり、そんな日々から逃げるように毎晩毎晩飲んでた酒のせいで必死に練習した台詞もボロボロ・・・おまけに共演する若い子役は純粋無垢で今の自分よりも確りしてて自分に情けなくてボロボロの状態からの正に観客もスタッフも魅了する悪役演技!!
ここの部分は本当に泣けました!!
実際、ディカプリオってタイタニックのイメージが強すぎて似たり寄ったりの役が多かったなか、タランティーノのジャンゴで極悪キャラをやって振り切れた印象があるので、メタ的な意味も含めて泣けました!!男泣きです!!!

一方その頃のブラピ演じる愛犬家暴力スタントマンにしてリックの恋女房のクリフはマリソンファミリーと接触
チャールズ・マリソン本人とは接触してませんでしたが、コミュニティにヒッチハイクしてきた女を送りに来たが、かつての撮影現場に群がる新しいコミュニティを訝しげに見たクリフはオーナーであるスポーンに会うため、コミュニティの制止を振り払って会う(結果はスポーンが見事にタブらかされて、貸してた)ただし、この男、超暴力的で悪名高いスタントマン。
おまけに手が凄い早い。
マリソンファミリーの皆はクリフに対して大ブーイング。そんな時、車のタイヤをパンクさせた男をその場でボコボコにしてタイヤを直させて去って行った。(これがクリフのキャラの説明にもなってる)

舞台は暫くして、リックは食い扶持を稼ぐために嫌だったマカロニウエスタンに3本出演した後、イタリアのスパイ映画に出演。共演した女優と結婚してハリウッドに帰ってくる。相棒のクリフも一緒に行き、稼いだもののリックから家も売り払って安いところに暮らすと言われ、ミズーリに帰るかもしれないから、雇えないとまさかのリストラを言われる(二人ともこの事に関しては完全に合意してる)

ハリウッドに帰って来た二人は最後の晩餐としてレストランで浴びるように酒を飲んだ後、リックは更に酒を飲み、クリフは自分の犬の散歩(麻薬を吸いながら)をする。
するとマリソンファミリーがシャロンテートを殺しに来ますが、ヒッピー嫌いのリックはマリソンファミリーに対して何とさっさと出ていけと言って追い出します。
するとマリソンファミリーはまさかの標的をリックに変更。リックはそのまま自宅のプールで最後の夜を過ごそうとしているなかにクリフが帰宅。そしてそこにマリソンファミリーがやって来るという展開です。
結果は、マリソンファミリーの二人がクリフによって殺されて、最後の女はリックが昔やった役の小道具である火炎放射機によって丸焼きにされます。
最後は、怪我を負ってしまったクリフを救急車で見送った後にリックはシャロンテートと友達のパーティーに呼ばれて終わります。

見所はたくさんありすぎて、1つに絞れませんね。
ただ、わかった事があって、深読みもしくは飛躍しすぎという可能性が高い事前提なんですが、この映画って西部劇的なんですよ。
ミズーリ出身の若い頃はブイブイのってた中年の落ちぶれ男と暴力的な相棒の二人が、ハリウッドに闇をもたらした暴力を屁とも思っていない邪悪に対して暴力で蹴散らすって言うマカロニウエスタンチックなんですよ。
マリソンファミリーも凄い短絡的で、リックを標的にしたのもテレビでずっと観てたからなんですよ。動機が『殺しを観客に教えて金を稼いだ豚を殺そう』って言うのが理由なんですよ。

このマリソンファミリーにとっては災難としか言いようがないクライマックスはもう盛り上がるしかなかったです。究極の自業自得、因果応報を味わってるので盛り上がらない訳がない。

勿論、この展開には物凄い批判もされてますが、事実を映画にしたときにリアルではなくて夢を選んだタランティーノ監督には称賛を贈った上で批判してほしいと思います(普通、こんなの思い付いてもやらないから)

因みに10分の追加シーンは主にタランティーノ映画名物のタバコ《レッドアップル》の宣伝が7割で残りがリックが主演してたドラマと食い扶持で出てたドラマの設定の説明で終わってました(こんな分かりやすい追加シーンなんて前例がないと思う)

まぁ、好き嫌いはあると思いますが、クライマックスまではほぼ60年代の俳優とスタントマンのブロマンスで構成されていますので、オタクとしてのタランティーノを楽しめます。
これはタランティーノのハリウッドに対する傑作映画でもありますが、寧ろハリウッドを愛しているタランティーノが制作したラブレターを現代を舞台にした西部劇で描いたと捉えるのが相応しいと思います。

ターミネーター ニューフェイト

監督 ティム・ミラー

制作 ジェームズ・キャメロン

キャスト アーノルド・シュワルツェネッガー
リンダ・ハミルトン




短文感想
面白くないわけではない!しかし、出すのが遅すぎたのとこの映画にとって2019年は最悪の年である!!
個人的リンク率40%
これは映画の内容や完成度ではなくて時期に問題があり、その影響が出てます。













ネタバレ感想
ターミネーター2の正統な続編として宣伝されまくっている映画ですが、まぁその宣伝の仕方が良いのか悪いのかは置いといて、映画の出来は最高に近かったです。

帰って来たサラ・コナーが大活躍。それだけでなく新しいレジスタンスのリーダーになる未来があるダニー、そしてそんな彼女を守るために未来からやって来た新しき戦士のグレース。

そんな彼女達三人をサポートするT-800なのですが・・・はっきり言って話の展開は1と2を合体させた物で敵のターミネーターのREV-9も1のスケルトンに近いのと2の液体金属の両方の側面があり、観ていて面白かったです。

話の内容も分裂や排他的主義、テクノロジーの暴走を批判してますし、T-800とサラ・コナーの協力がそんな壁をぶち壊し、グレースやダニーなど新しい世界を作っていく。

けど、ちょっと待って、この展開まんまターミネーター2じゃん!
しかもネタバレですけど、ジョン・コナーすぐに死にますからね。

アメリカでは見事に大赤字のようですが、あのはっきり言いますが、この映画10年いや3年遅かったです。

要するに今の時代、女性が活躍する映画もワインスタインの問題以後かなり出てきてますし(まだまだ全然映画の本数に比べたら少ないですけど)、トランプ大統領以降の映画で分裂を描いた映画も出てます。
今は昔と違って、映画本数の量自体が上がっていて、かなりあります(昔の増え方に比べたら)

しかも今年はアベンジャーズエンドゲーム、ゴジラキングオブモンスターズ、ワンスアポンアハリウッド、ジョンウィック、ジョーカー等々、分裂や貧富の問題、オタク魂の溢れる映画が大量に出ています。

今回のターミネーター・・・1を今の時代に合うようにアップグレードしただけなんです。

悪くはない!
今の時代に合ってるから・・・ただそもそもの問題でターミネーターって2の頃から男女共に活躍して誰かを共に守るって展開をしてたから、そもそもそれ以上の事を描いていないと意味が無いんです!

だからこの映画、あの完璧すぎる2に比べたら見劣りしてしまうのです!

やっぱり、ジョン・コナーを颯爽に殺すべきではなかった。T-800も何でそんな中途半端な出方をするのだ?
序盤から出てくれば良かった、グレースと一緒に来て、ダニーを守れば良かった。んでもってサラとジョンと合流して、最後はダニー以外全員死ねば良かったんです!

そしたら文字通り過去から呪縛を解き放たれた新しいターミネーターが出来たのに、中途半端に序盤でジョンを殺して、最後はサラを生き残らせるから微妙になったんだよ!


監督はターミネーターをサラ・コナーの物語だから面白いって言っていますけど、サラ・コナーだけじゃないでしょ。ターミネーターは元々サラ・コナーとカイル・リース、T-800の三人の映画でしょ?

T-800もといシュワルツェネッガーは毎回大破してるし、カイル・リースも1で死にました。生きてるのってずっと3つ全てを合わせるとサラ・コナーだけなんです。

ミラーやキャメロンのサラ・コナーに対する愛情が邪魔してます。また生き残っちゃったから・・・
10年いや女性スーパーヒーローのワンダーウーマンが活躍した2017年に公開していればもっとヒットしたでしょう。
勿論、今回の映画は無作為に増えてる女性讃歌のような単純な映画ではないです。そもそも主役の3人は女性らしさよりも人間らしさを強調していて、他の女性が活躍する映画よりも先を行ってますし、T-800はそんな未来の為に散っていく古くさいなった男のような描き方をされてますが、キャプテンマーベルやアベンジャーズ、ジョンウィックにワンスアポンアタイムインハリウッドにあったよねこれ?自己犠牲で世界を救うために散ったナターシャやそもそも女性らしさを強調せずに人間らしさを強調したキャプテンマーベル。69年を舞台に西部劇と共に散っていく古くさい男らしさ満開の映画のワンスアポンアタイムインハリウッド、逆に男のナショナリズム全快のジョンウィック。

そもそも三人の女性が物語の中心で活躍する。んで1人の邪悪なものが追いかけてきて撃退する・・・2018年に公開されたハロウィンがまんま同じ内容だったよね?

そして、AIによる人類の分裂をメキシコの移民問題と照らし合わせてトランプ大統領を批判しながらやってますが、それも分裂と怒りを貧富の差による問題にしてジョーカーで観たよね?しかもジョーカーの方がかなり強烈だったよね。
あのー、どこかで観たことあるって感じが強かったです。

要するにタイミングが悪い。
今の時代に必要なのは鮮度です。
この映画、鮮度が悪すぎるんです。
女性らしさよりも人間らしさを強調するのはもうやってます。
男らしい事を散りゆく古くさいものとして描くのももうやってます。
分裂による崩壊しかも中途半端な団結なんてくそ食らえと言わんばかりに強烈にもうやってます。
そして団結なんてそれこそ映画の王道だからやっていない大作映画なんてジョーカーぐらいじゃん!

少なくとも2019年はターミネーターニューフェイトがテーマにしたこと、全て他の絶賛された大作映画がやっているんです。
監督の過去作のオマージュもそれが見所だよと言わんばかりのゴジラキングオブモンスターズが先にやってます。しかもそれは前作でもやってます。

全てに置いて完成度は高いですけど、鮮度が最悪に近いです。

そりゃ誰も観ないよ・・・だってわざわざ他の映画でやっている事の繰り返しを誰が観たいのか?

この上述の例えに出した作品でやっていないのは過去はいつか消えるって事。すなわち、シリーズ物としての終わりを描かないといけなかったのです。

アベンジャーズではアイアンマンが死にキャプテンアメリカが引退しました。しかし、過去作のキャラクター全てが死んだ訳ではないです。ホークアイとハルクは傷を負いながらも生きてます。ソーも新しい未来にいくことが出来ました。
ワンスアポンアタイムインハリウッドでは結果的に男達二人は死んでなくまた新しい未来に行きました。
ジョンウィックではそもそもまだ最終決戦が残っているので死んでません。
ゴジラもまだキングコングとの決着が着いてません。
ジョーカーは単体作品ですがアメコミだと、これからバットマンと争う運命に生きてます。

やってないのは過去作のキャラクターの死だけなんです。
なんか、2017年に公開されたスターウォーズは?と言う声が聞こえて来ますが、レイダやチューイや3CPO、R2D2などを筆頭にまだまだ生きてます。

ジョンを容赦なく殺して、T-800も容赦なく殺して、サラ・コナーをなぜ殺さなかった。
サラ・コナーも死ねば明確に過去のターミネーターのキャラクターが全ていなくなり、新しいターミネーターを次いでいくのはダニーなんだとシンプルになったのに、何故に生きてるのだ?

過去作と違うのをしたかったら出来た筈だ。
結果的に監督のミラーもキャメロンもサラ・コナーのキャラクターに頼ってしまったのだ。
シュワルツェネッガーがサラ・コナーに変わっただけなんだ。これでは意味が無い。
まだ、3や4やジェニシスが無ければまた違った印象になったかも知れないが、そんなのは言ってもしょうがない。
次回作でサラ・コナーを殺しても最早手遅れ。

今年に公開するにはあまりにも遅すぎて鮮度が落ちすぎた事によって完成度が高くても微妙な結果になってしまった何とも今の時代を象徴するかのような映画でした。
悪くないわけではないです。ただ遅すぎただけなんです。

ジョーカー

『ジョーカー』

監督 トッド・フィリップス

主演 ホアキン・フェニックス



短文感想
究極のヒーローの誕生も究極の悪の誕生も普遍的な町から産まれる。バットマンという作品を完成する究極のピカレスクロマンにして、最高のアメコミ映画!

見届けろ!
世界中に愛されたバットマンと言う作品の完成を!

個人的パーセント率 120%














ネタバレ感想
始まりは、一人の男がボコボコにされてる所から始まる。彼はこの映画の主役のジョーカーだ。
元々、彼は精神病棟にいて、そこから出て社会に戻ろうとしてる。
しかし、誰も彼のその状態に対して関心を持たない。それはそうだ、何故なら世界は彼よりも進む早さが早い。その日を必死で暮らしている人間に溢れてる。そんなのを気にしていられる人間は多くない。
この映画を見た人は富裕層はクズばかりだと感じてはいけない。何故ならそれよりも前に大事な事が抜けているからである。それはタイトルの前のオープニングだ。ジョーカーは育ちの悪い貧困層の少年達にボコボコにされているのだ。それの結果、銃を持ち運ぶようになり、富裕層の暴力に対して撃ったのだ。つまり彼は最初、両方から暴力を奮われたのである。それの結果が富裕層の人間の死であるだけで、彼は別に貧困層のヒーローになった訳ではない。一先ず中盤を飛ばして、クライマックスに行くと描かれているのはバットマンのプロローグである。貧困層の犯罪者に両親を撃たれたバットマンで終わる。
彼の両親を殺したのはジョーカーではない。
ジョーカーを崇拝した町だ。
ジョーカーも暴力を奮われたのはバットマンの両親ではなく、富裕層に支配された町だ。
そうこの究極のヒーローと悪の誕生に一番深い位置に関わっているのは互いの存在ではなくゴッサムと言う二人の故郷だ。
この事実が本当に心の底から素晴らしいと絶讚したい。
何故なら、クリストファーノーランのダークナイトの文字通りの裏の作品を真正面から描いたのだ。
真のバットマンという作品のファンなら喜ぶべきだと思う。
この映画で二人の故郷がどういう場所なのかが判ったからだ。
ジョーカーとバットマンはコインの裏と表、表裏一体と云われることがたくさんある。
その事が今まで良くわからなかったが、その事が本当に良くわかった。
自分の言葉で言うなら、バットマンは正義の暴走である。ジョーカーは悪の暴走である。
そして、ゴッサムという街は、全ての問題を隠す街なのだ。それ故に二人の問題と怒りが面をでない、故に二人は暴走し、無理やり面を出すのだ。
絶讚と共に号泣したい。
何故なら、この二人の結末はどっちかの勝利では終わらないからである。この二人は、前述の通り、コインだ。終わらせるには、コインそのものをどうにかするしかない。すなわち、コインを棄てるのだ=二人を消させるしかない。
しかし、それでは問題の解決にはならずにまた表面化する。そしてまた始まる。
正しく、バットマンと言う作品を完成させたのだ。
所々にでるホラー映画顔負けの恐怖のシーンは全て他者との関わりのシーンで出る。
最初とクライマックス直前の電車のシーンを筆頭に、尊敬する人間に笑い物にされた後の家のシーン、ジョーカーの出生の後に出た部屋のシーンなど、何故、他者との関わりの後に出たのかと言うと、他者=町であるからだ。
つまり観客はジョーカーに感情移入するから、町に恐怖を感じると言う寸法だ。そしてそんな町ですむ絶望は計り知れないだろう。
この映画では、其々の存在が色々なメタファーになっていてそこら辺を考えるのが非常に楽しいのだ。
富裕層と貧困層のチンピラはその層の目に見える暴力だ。
では目に見えない暴力とは?
それは、クライマックスのトーマスウェインと彼を殺した犯罪者だ。
互いに互いの世界にドップリと使った二人がこの映画の象徴なのだ。
現実で彼らを例えられるものはたくさんあるが、人の感情で例えるなら、善の心と悪の心である。
彼らは自分のエゴを押し付ける者だ。
トーマスウェインは富裕層だから、富裕層の信念と悪に従う。
彼を殺した犯罪者は貧困層だから、貧困層の信念と悪に従う。
では、普遍的な者は?
ロバート・デ・ニーロ演じるMCがこの町で一番普遍的な者である。何故なら、デ・ニーロはジョーカーを笑い物にしたと描いたが、それは恐らく番組の流れで仕方なくなのだと解釈できなくはない。
何故なら、そう解釈したら、とてつもなく趣味の悪いブラックジョークができて、内容がジョーカーらしいのだ。
例えで出すが、80年代のコメディ番組なのだから、人を笑い物にしまくる、けど彼はジョーカーがクライマックスで番組に来たときの裏の挨拶でジョーカーに対して何の嫌悪感も出さなかったのだ。ピエロがカオスの象徴となってるなか、ピエロ姿で現れたジョーカーを見てディレクターが時間を減らそうと言ってるのに減らさなかった。それは彼がそのジョークを受け入れようとしたからだ。けどドンドン出てくるジョーカーの悪行に対しては頑として反対の姿勢を取っている。番組の観客がジョーカーを摘まみ出せと言ってても彼はその意見を聞かずにジョーカーの言葉を聞いて反対したそうこの映画で唯一普通の人間がジョーカーに真正面から反対したのだ。
ジョーカーがオープニングの時点の感情だったら、きっと止まっていたと思う。けどデ・ニーロと対決した時にはもう狂っていて、彼はそれを受け入れたのだ。
故に誰の言葉も届かずにデ・ニーロを殺したのだ。どんなブラックジョークが出来たかって?
壮大な悪の被害者も壮大な正義の代償も払うのは普通の人間の命なのだと言う正しくジョーカーが常にバットマンに対してお前と俺の何が違うんだと言う問いを明確に例えの例にしてに出した究極のブラックジョークなのだ。
ダークナイトの象徴が、船が爆発しないなら、この映画の象徴はデ・ニーロの死だ。
人が生きる部分と人が死ぬ部分。
今までのバットマンの作品はヒーロー物だから、生きる部分を象徴的に描いたが、この映画は正に正反対、人が死ぬ部分を象徴的に描いたのだ。

この映画の感想の殆どが個人の感情になってしまったのは、観て欲しいからだ。
ダークナイトを観てない人は、この映画を観た後でも観る前でも良いから一緒に観て欲しい!
この2つの作品を持ってバットマンは完成するのだ。
この2つの作品を持ってコインが完成するのだ。
この2つの作品を持ってコインが宙に飛ぶのだ。
表か裏のどちらを選ぶのも個人の自由だ。
それが人間の権利なのである。

最後にこの感想を読んでくれた読者の人の全てに聞きたい、貴方はどちらを選ぶ?

映画における駄作と傑作

映画にはいくつもの傑作、名作、珍作、駄作がありますが、一体何を基準に考えているのか少しばかり気になりますね。

なので、空っぽな頭でも考えうる限り考えてみたいと思います。

完全に私個人の見解の上での論なので、ご容赦を







傑作
何を基準に傑作と言って良いのか微妙なものです。
演出?映像美?脚本?俳優の演技?録音?編集?
原作からの改編?原作への忠実さ?
悩みますね。

代表的な傑作を挙げていきますと、『ゴジラ』、『ウルトラマン』、『七人の侍』、『駅馬車』、
フレンチ・コネクション』、『ロッキー』、
『卒業』、『カッコーの巣の上』、『アパートの鍵、貸します』、『恋人たちの予感』、『激突』、
『シェーン』・・・etc
あくまでも個人的な見解の上で古い映画に統一させて貰いました。

次に名作です。
傑作との違いは、これは後の時代にも影響を与え続けるかどうかだと思います。
『天国と地獄』、『羅生門』、『狼よさらば』、
ランボー』、『ダイ・ハード』、『ジョーズ』、
砂の器』、『仁義なき戦い』、『幸せの黄色いハンカチ』、『裸の島』・・・etc
他にも名作と呼ばれている作品は数多く存在します。前述の作品はあくまでも私個人の見解と趣味です。また、勿論名作と呼ばれる作品にも後の時代に続くような部分は数多くありますが傑作との違いは認知度です。傑作にはその作品を観ていない人にも伝わる部分があるのです。
具体的には『卒業』だと、最後に主人公が花嫁をかっさらう部分。色々な作品にオマージュされています。
ゴジラ』はゴジラと言うキャラクターそのもの。
『シェーン』は「shane、comeback!」の台詞
七人の侍』はそのタイトル通りに七人の侍が何かをするんだろうなと言うシンプルなタイトルとストーリー。
『ロッキー』もアメリカンドリームの金字塔で、スポーツ映画の主な作品はだいたいこのロッキーが作り上げました。
このように傑作と名作との違いはこの後に作られた作品にオマージュされて言った量の違いだと個人的に思います。
勿論、名作もオマージュされていっていますが、
例えば
ランボー』はスタローンが銃を撃ちまくる印象がありますが、明快なものではなく、どちらかと言うとシリアスで重い話です。
『ダイハード』も最初の作品はビル一つを舞台にするアクションです。
『天国と地獄』は不気味なタイトルですが、中身は純粋な刑事サスペンスものです。
このように知らない人にも一発でわかるものがあれば傑作、なければ名作と今はそう思ってます。

珍作
これは人の好みに完全に左右されます。
恐らく、駄作と呼ばれている作品も全てここに入ると思います。
主な作品群は
マカロニ・ウェスタン、SF、ホラー、ラブストーリー等々です。
(明らかにこのジャンル群が好きな人に喧嘩を売ってる)

前述の作品群はあくまでも今回の記事を分かりやすくするためのものです。前述の作品群でも好きな作品が私も多々あるので・・・

ここで珍作と駄作の違いを説明します。
例えば、
ゴジラ(2014)』、『シンゴジラ
この2つの作品は、どちらも賛否両論があります。
エンタメか芸術よりのどちらで捉えると言われたら、『ゴジラ(2014)』がエンタメで『シンゴジラ』が芸術よりと私は判断します。
ゴジラ(2014)』の否定的な意見の多くは、ゴジラの成り立ちで、水爆の核により古代から呼び出されたのがゴジラですから、それを否定しているんですよね。まぁ、その前に原子力潜水艦が行方不明になるって言う事故があったから、完全には否定してないと思いますが、ともかくこれが否定的な意見の多くでもう一つは中々姿を見せないゴジラ
監督は『ジョーズ』をイメージして描いたと言ってますが、『ジョーズ』は人間と鮫の対決ですから、『ゴジラ(2014)』の場合は敵怪獣のMUTOの登場で、人間の立場がゴジラと対決する当事者よりもゴジラとMUTOの対決を観る傍観者に近いので、『ジョーズ』の描きかたは合ってなかったとしか言いようがありません。
シンゴジラ』はマーケティングの時点で初代ゴジラをリメイクするというのを明確に言っていましたので、シンプルなゴジラと人間の対立になりました。しかし、問題は脚本の部分で『シンゴジラ』は確かに往年の特撮のロマンを見事に描いた作品ではありますが、登場人物の殆どが所謂公務員で、別の記事にも書きましたがゴジラの公務員は逃げないんですよ。故にパニック映画としての印象が弱くなりました。また、一般人が殆ど出ておらず、『ゴジラ(1954)』で例えると、平和の祈りのシーン、避難所の地獄絵図、またゴジラのチャーミングなシーンもない(個人的にこの部分がないせいで私の『シンゴジラ』に対する感想は【ゴジラを題材にした政治映画になってます】)
等があげられます。

下らない家族の物語は観たくないんだ、対決が観たいんだという『シンゴジラ』の賛成の言葉がありましたが、例えば『鳥人戦隊ジェットマン』はそれまでのスーパー戦隊と違い、トレンディドラマの部分を入れました。理由は、大人の視聴者を呼び込むためです。
何故に『ジェットマン』を例えに出したかと言うと、これが一番良い例だからです。
要するに子供向けの作品に大人向けの要素を入れて大人にも共感してもらおうと言う方法です。
何故に数多の怪獣映画に家族のドラマとかが入るのかって言うと色んな人に共感して貰おう。そしてこの怪獣を知ってもらおうと言う寸法です。
シンゴジラ』は庵野さんのネームバリューと一般の特撮の浸透、特撮に対する愛情によって上手くいった部分があり、それのお陰で家族の物語が無くても楽しめたのです。

長く書いてきましたが、ここで覚えて欲しいのは共感とジャンルに対する愛です。

そしてこの2つの作品に続こうとした大問題作にして日本映画の汚点としか言い様のない駄作シリーズ
ゴジラ(アニメシリーズ)』
この映画が前述の2つの映画と違うのは、まず『ゴジラ(2014)』みたいに家族の物語ではない。
シンゴジラ』のように特撮に対する愛が爆発している訳でもない。
アニメ版らしく、アクションはアニメならではでみれるが、アニメに対する愛が爆発していない!
東宝側は怪獣プロレスにしたくないと言いましたが、怪獣映画の王道が使えないなら、特撮に対する愛情もしくは誰にでも共感できる物語が必要なのに、その二つが存在しない。

完全に誰に向けて作品を出したのかがわかりません。特撮に対する愛情がないと特撮ファンは見ませんし、誰にでも共感できる物語がないと興味のない人間は入ってきません。

ブログを読んで下さってる皆さん、これが駄作です。

珍作と駄作の違いはジャンルに対する愛情です。
勿論、何を思って愛情を感じるのかは人によって違います。

例えば、『コマンドー』を駄作にするものもいれば、『ゴジラ』を駄作にするものもいます。

スターウォーズ』が嫌いな人間もいれば大好きな人間もいます。

結局は人の求める物によってそれらは変わっていきますが、私が思う駄作は誰に向けて出すのかを見失った作品を私は駄作と読んでいます。

ソドムの市

『ソドムの市』

監督・脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ

音楽 エンニオ・モリコーネ

原作 マルキ・ド・サド






短文感想
あまりにも衝撃的すぎる内容の作品。
人間の欲望の象徴のような劇物

個人的リンク率 -100%
この映画は、上手いとか素晴らしいとかそういう次元の映画ではないので、この%になりました。
決して、駄作ではないです。
ただし、不快になる作品なのは確かです。
内容も完全にR-18ですので、この先のネタバレ感想も殆どネタバレ感想のレベルとは思えないくらい省きながら書きます。
一応、閲覧注意と書きます。




























良いですか?
責任はとれませんよ。






















【ネタバレ感想】
まず、舞台の背景が自分の今まで観てきた映画では 中々観たことがない時代背景で連合国に降伏してファシズムが北イタリアでナチスの傀儡政権をやっていた時のイタリア社会共和国時代で、原作は18世紀のスイスから変わっているから、ここでもうパゾリーニ監督の政治的意図がわかります。
次に、サロと言う町で少年少女が親衛隊の人間に連れていかれて大統領、公爵、司祭、最高判事の四人とその息の掛かった面々により、男女各9人ずつに選ばれてしまい、秘密の館に連れていかれて・・・

もう、口を手で塞ぎたくなるような展開が延々と続けて起こり、具体的に言うなら(言いたくないけど)、広間で夫人が猥談をして、大統領、公爵、司祭、最高判事の四人は、途中で計16人(二人、来て早々に死にます)の中から1人連れて隣の部屋で、変態行為を行います。
猥談はその行為をする欲望を掻き立てる物。
他には、その猥談で行われた行為をその場で実践したりと、AVとは違い、淡々ともう観客の感情とかそんなのを突き放すかのように撮ってるから観てて不快になりました。

しかもこの大統領ら四人、サディストだけでなくマゾヒストでもあり、自分の欲望が満足できれば少年少女関係なしだから、そこの部分も不快になりました。


不快に思わなかった部分がこのこの映画には存在しないです。


次に監督は、政治的な主張もこの映画に込めたようなんですが、反ファシズム以外、分からなかったのが、僕の現状で、恐らく観る人が観ればわかると思うのですが、僕にはそれしかわからなかったです。

あくまで個人的な解釈で言うならば、クライマックスの前に殺される前の晩に少年少女がそれぞれの秘密を大統領達に自分の命を守るためにバラシていくのは、人間どんなに苦難を共にしようとも自分を守る為なら敵になるって事なのかな?(合っているかわかりません)

最後に少年少女達が殺されている傍ら、少年警護兵達が踊っていた理由はなんなんだろうなぁ?

僕には、まるで一見幸せそうに見えてもその足元に地獄が積み重なっているように見えて恐ろしく感じました(この解釈も正しいかどうかわかりません)

後、Wikipediaにも書かれているから言うけど大量の強烈なスカトロ描写

あれはなんだったんだ?

何を批判してたんだ?

わからなくてもどかしいです(別にわかりたくもないんですけど)

恐らく、この映画を完璧に理解できる人間がいるならば、政治的な意図も理解でき、背景の歴史を理解でき、なおかつ演出と脚本、そして原作を理解できる人間だと思います(それができる人間は恐らく存在しないと思います。主に原作の部分を)

完全に理由するのだったら、政治学者、歴史学者精神科医、映画監督、文学者、映画評論家、性的嗜好を分析するための専門家を詰め込んだスペシャルチームが必要だと思います。

原作はサディストの語源となった人物で生涯、刑務所と縁が深かった人物で、獄中でこの原作を書いています。
この原作はこの後、原作者の手から離れてしまい、原作者も復元しなかったようです(理由は、自分の想像力を越えられなかったとか、自分の妄想のエロ小説だから復元する気が起きなかったとか色々あります)

何はともあれ、強烈な印象が嫌でも残る作品ですので、これで感想は終わります(気になる人は観ても良いけど、責任は取れません)